2020年3月13日金曜日

小腸ストーマ

いつも読んでくださりありがとうございます。
病室で退屈な日々をすごしております。


イレウス→ご飯が食べられない→化学療法できない→がん進行→イレウス拡大

この負のスパイラルを打ち切るため、ご飯を食べられるようストーマを決意したのだが、私の場合これが結構な致命傷になってしまった。

小腸でも結構上の方で切ったため、水分・栄養素(特にミネラル)が吸収しづらく、今回の低カリウム血症+脱水症状になってしまいました。

低カリウム血症+脱水で私に起こった症状は
全身がだるい、ふらつき、吐き気(嘔吐)、食欲不振、しびれ、何より普段ではしないような判断や行動をしてしまうことでした。

それは入院して二日目の夜、ストーマを排泄しようとトイレへ。なぜか便座とは別の場所に座ろうとしてしまったが、そこは何とか踏ん張って便座へ座った。
ところが今度はベッドに座るつもりが、なぜか普通に床の上にベッドがあるつもりで座ったしまった。
「あっ やばい」と思ったが時すでに遅し、点滴台ごと大転倒。
たまたま通りがかった看護師さんにすぐ助けられたが、自分で起き上がることもできませんでした。

直ぐにセンサー付きを紐を取り付けられ、「トイレに行くときは呼んで下さいね」と何度も何度も何度も念を押され要注意人物に。

看護師の長女曰く転倒すると始末書を書かされるらしい。看護師さんには申し訳ないことをしたなぁとは思いつつも、なぜあのような行動をしたかは、いまだにわからないがこれもひとつの症状らしい。
今にして思えば、今まではどんなに苦しくても病院には自力で行っていたのに、救急車を呼ぶという判断をしてしまったのも、このせいかもしれない。

血液検査でカリウムが一番少ない時で2.4mEq/L(基準値3.6~5.5)で、他のミネラルもめちゃくちゃな値だったらしい。
今後ミネラルが吸収されることは期待しづらいとのことで、もしかしたら永久点滴かもしれないとのこと。

癌との闘いもあるが、とりあえず今は普通にご飯が食べられることを目指しています。

2020年3月11日水曜日

大袈裟ですが、死ぬかと思いました。

いつも読んで頂いている皆様、ご心配おかけしております。
生きております(^^; 少しさかのぼって書きます。

体調が安定せず、歩けたり歩けなかったりしたのですが、退院日が3月5日と決まった。
それでもY先生が抗がん治療を翌週(3月9日)から行ってくれるとのことで、自宅で療養しながら体調を整えようと退院を決意した。

退院当日、しんどいけど歩けなくはない。
会計を済まして来週の外来予約表をもらうと、外来予約が4月に変更されている。しかも化学療法がキャンセルされている。

すぐに看護師になぜキャンセルされているのか問いただすとN先生がやったという。
N先生を捕まえて、なぜかと聞くと
「出来る訳ないやん この前 副作用で死にかけたでしょ」
「もともと生きるか死ぬかでこの病院まできて、ストーマにしてまでやってきたのに、それは無いでしょう」と反論。他にも色々言った気がするが、必死に食い下がった記憶だけある。

何とか3月18日にやくざの親分先生(I先生)の受診とその血液検査の結果がよければ化学療法を行ってもらえる外来予約表をもらって、その場は引き下がったが、埒が明かないので、やくざの親分先生(I先生)に説得させる魂胆は見え見えだ。

 次はやくざと戦争だぁ!!

Y先生は抗がん治療を行ってくれるといい、I先生とN先生はやらないという何ともおかしい病院だ。厄介なことになってきたなぁ。
このおかしな病院(先生方)についてはそのうち詳しく書きます。

翌日もあまり体調がよくない。
それでもお昼ご飯にサンドイッチを食べ、ベッドで横になっていると、なんか息苦しいし全身がしびれ始め、体を起こすことすらできなくなった。

あかん死ぬ

家族も外出しているので、自ら救急車を呼んだ。
ちょうど家族も帰ってきて地元の病院に搬入された。

病状は『低カリウム血症』
他にも数値がめちゃめちゃらしい。
救急担当医に昨日まで別の病院に入院していたことを伝えると、「えーーーー」と(よく退院させたな的に)驚いていた。
今はブログを書くまで回復できましたが、死を覚悟した数日でした。

追記:この前は高カリウム血症と書きましたが、前の病院では数値を見せてくれないので、聞き間違いかもしれません。

   

2020年2月24日月曜日

体調が安定しない

体調が猫の目のように変化する。

5分粥まで食べられるようになったと思ったら、すぐに吐いたり。
歩けるようになったらすぐにふらついたりと、とにかく安定しない。

ここ2~3日前までは全身じんましんに襲われていたが、アレグラ2回で一気に改善。
とにかくひとつひとつ治していくしかないみたい。

ところで
「オプジーボ、食道がんと結腸・直腸がん治療で国内承認」とありましたが、まあどうせ色んな条件が付くのでしょう。大腸がんの期待の薬となるのでしょうか?
詳しくご存知の方いらっしゃったら教えて下さい。

   


2020年2月19日水曜日

今日のケモ中止、退院決定

本日、腹腔ポートからの抗がん剤治療がスキップとなった。

血液検査の結果 クレアチニン 4.13 尿素窒素 100.7 腎臓の数値が悪すぎる。
これ下手したら透析レベルやん。

だから数日前から訴えていたのに「あんたは考えすぎや」なんて患者の不調を無視するから、ギリギリの血液検査の結果、ケモスキップだなんてことになるんだろうね。
しかも看護師と先生のコミュニケーションは悪いし、3先生がそれぞれ回診に来てくれるのでありがたいのだが、基本3人の先生は常に単独行動なので、同じことを何度も聞かれる。しかも既往歴に糖尿病って書いてあるし、紹介状に書いてあったはずなのに、今更知ったとも言う。
はっきりいって手術では有名であっても、入院中の管理は下の下である。

「で、どうするねん」といつものI先生。
「可能ならやりたいです」
「こっちは出来へん言うてるやろ」
??? 何が言いたいんだ? じゃ何で聞くのか? 強制同意なのか?

で続いてN先生も
「ここは手術をメインとしたアクティブな患者さんを入院させる病院(センター)です。地元で体調整えられてはどうですか?」

外来での抗がん治療は続けられるという当初の目的は達成されているわけだから、別にここでの入院をこだわってるわけではないが、私はアクティブでポジティブなつもりなんだが、助かる確率の高い命しか助ける気がないんだろうか、手術以外には興味ないんだろうなって思ってしまう。
で地元で引き受けてくれる病院を探してもらうようになった。

帰り際I先生がN先生を先に返して、こう言って去っていった。
「あまりN先生を困らせるなよ。こっちは43年もこれ専門なんだ」
随分とI先生には嫌われたなぁ。自分の思い通りの43年間だったんだなぁってしみじみ思う。
自分の体に対しては無茶言ってるが、先生に無茶ぶりしたこともないし、ましてや患者の要望をクレームとしてしか受け取らない医者には正直絶望しかない。
正直I先生とはこれ以上討論したくないし、これで退院の決意が揺らぐことはなくなった。戦略的撤退だ。
病院(先生)は目的ごとに付き合った方がいいという教訓を教わった。

   
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2020年2月18日火曜日

再告知

話は数日前に戻りますが、やくざの親分先生(I先生)より、「ちょっとこれるか?」と呼び出された。
病室では話しづらい内容だとはすぐに気が付いたが、呼び出されたところが処置室と書かれた実際には倉庫として使っている部屋だ。

体育館裏へ来い!!って言われた気分だ。

部屋に入るといきなり
「あんた自分の病気のこと分かっているか?」
「ええ、結構悪いと思ってますが・・・」
「そうや、相当悪いで」

今にして思えば随分と乱暴な話で、CTやら検査結果やらを見せながら説明するのが普通だと思うが、何の説明もして来なくて「わかってるやろなぁ」って感じで凄まれても医者としての説明責任を果たしていないと思うが・・・

「このまま治療続けても無駄やと思うで」
「それって緩和ケアってことですか?」
「そや」
「緩和ケアを選択したら、栄養とか取れなくなり、悪液質で余命半年ぐらいって感じでしょうか?」
「そやな」

「そやな」って冗談じゃない!! 先生にとっては何百、何千分の1人かもしれんけど、私や家族にとっては1/1の命やぞ!! 

「でもね先生、抗がん治療も一回しかしてないのに、もう緩和ケアの選択しか無いんですか?前の病院は標準治療しかできないと言われ、だからここに来たんですよ。こんぐらいでは諦めませんよ」

「Y先生は全国的に有名な先生やけど、みんながみんな治る訳ちやうで」
「そんなのは分かってますよ。みんな覚悟の上で、わずかな確率に掛けてきているんじゃないんですか?」
「・・・・・・」
「抗EGFRも試していないし、標準治療もまだたくさん残ってるかぎりチャレンジしますよ」

それに標準治療がなくなったら、確率が低くても遺伝子パネルも出来るし、HER2異常だったら別の薬も使えるかもしれないし、MSI-Hだったらキイトルーダも使えるかもしれない。
ここであきらめる選択支なんかない!!

「そうか まあN先生が新しいレジメンも考えてくれているようなので・・・・」
先生だろうが誰であろうが自分と考えが違うところは納得できるまでやりあう覚悟だ

翌日有名なY先生がひょっこり顔を出して(この先生掛け持ちも多いためか神出鬼没なのだ)
「ケモ今週やな、その先もずーと外来で予約してあるから来てね」ってにこにこしながら言ってくれた。(第一印象から随分と違うなぁ。シャイな先生だったんだね)

ちょっと落ち込んでたけど、涙が出そうになるくらいこの一言で癒された。

それから2~3日後、また体調が悪くなり始めたが回診に来るのはI先生、この先生に言ってもどうせ根性論とか精神論でしか返ってこないだろうと相談しなかったが、今回N先生とI先生が二人で入って来たので、思い切って相談した。

「前回と同じ様に動くと息切れがするのです」
するとI先生、私の頭を指さして「あんた考えすぎやねん」 単純・想定通りの回答だ。
はぁぁぁ そういうのは血液検査でもして、医者らしいことやってからだろ。
あんた考えなさすぎやねん。固定観念に縛られすぎやねん。
どうもこの先生とは合わない。ずーとケンカし続けることになるだろう。



2020年2月15日土曜日

動けなくなる

体調不良で一週間動けなくなってました。

先週水曜日に腹腔ポートから抗がん剤を打って、これといった副作用もなく順調だと思っていたが、金曜日から胃がシクシクと痛くなり水さえ飲めなくなった。

この時には明日には普通食というところまできていたので、既に点滴も外れ口からのみの栄養、水分補給となっていたが、ストーマからは相変わらず1日2ℓぐらい出ていたため、あっという間に脱水症状らしき症状が出た。

やくざの親分先生には訴えていたのだが、しっかり水分とらなあかんでとか、もっと歩かなあかんでとか、はよ退院せなあかんでとか根性論しか返ってこなかった。たまりかねて別の当直の先生に症状を訴えると直ぐに血液検査をしてくれた。

脱水症状で高カリウム血症!! まあまあ危ない病気やん!!

直ぐに点滴を打ってくれ、心電の機械が胸についた。
ここがねこのセンターの先生方の連携の悪さだと思うんだよね。

それでもしばらくトイレに行くにも息切れを起こすし、立ち眩みはするし、何をするにも気力が無くなるしで、ようやくここ1~2日で動けるようになった。

来週に再度腹腔ポートから抗がん剤を打って、様子をみてから退院となった。
今後は地元の病院に戻り、抗がん治療だけここに通うように手配してもらった。

それぞれの病院に特色がありますね。100点の病院ってなかなか無いんだね。

また、やくざの親分先生からは衝撃の事実を知らされるが、それはまた後程。



2020年2月5日水曜日

化学療法(改)1クール目

本日より化学療法を再開した。

今まではCVポートによるXERIRI+アバスチンで15クール行ったが、今回より腹腔ポートによる化学療法(改)である。飲み薬のTS-1も予定されているが、しばらく様子を見てからにするらしい。

腹腔ポートによる化学療法は副作用は比較的出にくいらしい。
これは、オキサリプラチンの(未だに残る)手足のしびれ、投与1~2週間続く冷たいものが触れない飲めない、またイリノテカンによる骨髄抑制や抜け毛(やっと生えてきたが)の副作用を経験してきた私にとって大変ありがたい。
特にイリノテカンの副作用が強くでていたので・・・

今回の点滴も副作用に下痢があるらしいが、ストーマの私にとってはまったく怖くないのだ。空腸にストーマがついたため、ドロドロの便になりかけの状態で一日8回ぐらい出るのだから。

点滴は結構時間がかかった。CVポートからソルデム500ml×2の点滴に約2時間、吐き気止めの点滴に1時間、腹腔ポートからの抗がん剤に2時間と合計5時間かかった。
薬剤師さん曰く腎臓代謝なので、水分を多くとっているとのこと。

次回から外来になるので、往復と手続きや待ち時間等で、9時間ぐらいかかることになる。CVと腹腔同時に流せないのかな?

今のところ副作用さらしい副作用は出ていないし、1クールも点滴後2週TS-1を飲んで1週休薬と前回と一緒なので、効けば長く続けられそう。

ただ、アバスチンで転移が抑えられていたのであれば肝臓・肺への転移が心配。
また、先生と相談だ。

あっそれと最近熱が出ないので、解熱鎮痛剤を止めため、じんましんが出なくなった。
ということはやはりアセリオかぁ アレルギーのせいでまた使えない薬が増えてしまった。そんなデリケートな体じゃなかったはずなのになぁ。