2020年2月24日月曜日

体調が安定しない

体調が猫の目のように変化する。

5分粥まで食べられるようになったと思ったら、すぐに吐いたり。
歩けるようになったらすぐにふらついたりと、とにかく安定しない。

ここ2~3日前までは全身じんましんに襲われていたが、アレグラ2回で一気に改善。
とにかくひとつひとつ治していくしかないみたい。

ところで
「オプジーボ、食道がんと結腸・直腸がん治療で国内承認」とありましたが、まあどうせ色んな条件が付くのでしょう。大腸がんの期待の薬となるのでしょうか?
詳しくご存知の方いらっしゃったら教えて下さい。

   


2020年2月19日水曜日

今日のケモ中止、退院決定

本日、腹腔ポートからの抗がん剤治療がスキップとなった。

血液検査の結果 クレアチニン 4.13 尿素窒素 100.7 腎臓の数値が悪すぎる。
これ下手したら透析レベルやん。

だから数日前から訴えていたのに「あんたは考えすぎや」なんて患者の不調を無視するから、ギリギリの血液検査の結果、ケモスキップだなんてことになるんだろうね。
しかも看護師と先生のコミュニケーションは悪いし、3先生がそれぞれ回診に来てくれるのでありがたいのだが、基本3人の先生は常に単独行動なので、同じことを何度も聞かれる。しかも既往歴に糖尿病って書いてあるし、紹介状に書いてあったはずなのに、今更知ったとも言う。
はっきりいって手術では有名であっても、入院中の管理は下の下である。

「で、どうするねん」といつものI先生。
「可能ならやりたいです」
「こっちは出来へん言うてるやろ」
??? 何が言いたいんだ? じゃ何で聞くのか? 強制同意なのか?

で続いてN先生も
「ここは手術をメインとしたアクティブな患者さんを入院させる病院(センター)です。地元で体調整えられてはどうですか?」

外来での抗がん治療は続けられるという当初の目的は達成されているわけだから、別にここでの入院をこだわってるわけではないが、私はアクティブでポジティブなつもりなんだが、助かる確率の高い命しか助ける気がないんだろうか、手術以外には興味ないんだろうなって思ってしまう。
で地元で引き受けてくれる病院を探してもらうようになった。

帰り際I先生がN先生を先に返して、こう言って去っていった。
「あまりN先生を困らせるなよ。こっちは43年もこれ専門なんだ」
随分とI先生には嫌われたなぁ。自分の思い通りの43年間だったんだなぁってしみじみ思う。
自分の体に対しては無茶言ってるが、先生に無茶ぶりしたこともないし、ましてや患者の要望をクレームとしてしか受け取らない医者には正直絶望しかない。
正直I先生とはこれ以上討論したくないし、これで退院の決意が揺らぐことはなくなった。戦略的撤退だ。
病院(先生)は目的ごとに付き合った方がいいという教訓を教わった。

   
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2020年2月18日火曜日

再告知

話は数日前に戻りますが、やくざの親分先生(I先生)より、「ちょっとこれるか?」と呼び出された。
病室では話しづらい内容だとはすぐに気が付いたが、呼び出されたところが処置室と書かれた実際には倉庫として使っている部屋だ。

体育館裏へ来い!!って言われた気分だ。

部屋に入るといきなり
「あんた自分の病気のこと分かっているか?」
「ええ、結構悪いと思ってますが・・・」
「そうや、相当悪いで」

今にして思えば随分と乱暴な話で、CTやら検査結果やらを見せながら説明するのが普通だと思うが、何の説明もして来なくて「わかってるやろなぁ」って感じで凄まれても医者としての説明責任を果たしていないと思うが・・・

「このまま治療続けても無駄やと思うで」
「それって緩和ケアってことですか?」
「そや」
「緩和ケアを選択したら、栄養とか取れなくなり、悪液質で余命半年ぐらいって感じでしょうか?」
「そやな」

「そやな」って冗談じゃない!! 先生にとっては何百、何千分の1人かもしれんけど、私や家族にとっては1/1の命やぞ!! 

「でもね先生、抗がん治療も一回しかしてないのに、もう緩和ケアの選択しか無いんですか?前の病院は標準治療しかできないと言われ、だからここに来たんですよ。こんぐらいでは諦めませんよ」

「Y先生は全国的に有名な先生やけど、みんながみんな治る訳ちやうで」
「そんなのは分かってますよ。みんな覚悟の上で、わずかな確率に掛けてきているんじゃないんですか?」
「・・・・・・」
「抗EGFRも試していないし、標準治療もまだたくさん残ってるかぎりチャレンジしますよ」

それに標準治療がなくなったら、確率が低くても遺伝子パネルも出来るし、HER2異常だったら別の薬も使えるかもしれないし、MSI-Hだったらキイトルーダも使えるかもしれない。
ここであきらめる選択支なんかない!!

「そうか まあN先生が新しいレジメンも考えてくれているようなので・・・・」
先生だろうが誰であろうが自分と考えが違うところは納得できるまでやりあう覚悟だ

翌日有名なY先生がひょっこり顔を出して(この先生掛け持ちも多いためか神出鬼没なのだ)
「ケモ今週やな、その先もずーと外来で予約してあるから来てね」ってにこにこしながら言ってくれた。(第一印象から随分と違うなぁ。シャイな先生だったんだね)

ちょっと落ち込んでたけど、涙が出そうになるくらいこの一言で癒された。

それから2~3日後、また体調が悪くなり始めたが回診に来るのはI先生、この先生に言ってもどうせ根性論とか精神論でしか返ってこないだろうと相談しなかったが、今回N先生とI先生が二人で入って来たので、思い切って相談した。

「前回と同じ様に動くと息切れがするのです」
するとI先生、私の頭を指さして「あんた考えすぎやねん」 単純・想定通りの回答だ。
はぁぁぁ そういうのは血液検査でもして、医者らしいことやってからだろ。
あんた考えなさすぎやねん。固定観念に縛られすぎやねん。
どうもこの先生とは合わない。ずーとケンカし続けることになるだろう。



2020年2月15日土曜日

動けなくなる

体調不良で一週間動けなくなってました。

先週水曜日に腹腔ポートから抗がん剤を打って、これといった副作用もなく順調だと思っていたが、金曜日から胃がシクシクと痛くなり水さえ飲めなくなった。

この時には明日には普通食というところまできていたので、既に点滴も外れ口からのみの栄養、水分補給となっていたが、ストーマからは相変わらず1日2ℓぐらい出ていたため、あっという間に脱水症状らしき症状が出た。

やくざの親分先生には訴えていたのだが、しっかり水分とらなあかんでとか、もっと歩かなあかんでとか、はよ退院せなあかんでとか根性論しか返ってこなかった。たまりかねて別の当直の先生に症状を訴えると直ぐに血液検査をしてくれた。

脱水症状で高カリウム血症!! まあまあ危ない病気やん!!

直ぐに点滴を打ってくれ、心電の機械が胸についた。
ここがねこのセンターの先生方の連携の悪さだと思うんだよね。

それでもしばらくトイレに行くにも息切れを起こすし、立ち眩みはするし、何をするにも気力が無くなるしで、ようやくここ1~2日で動けるようになった。

来週に再度腹腔ポートから抗がん剤を打って、様子をみてから退院となった。
今後は地元の病院に戻り、抗がん治療だけここに通うように手配してもらった。

それぞれの病院に特色がありますね。100点の病院ってなかなか無いんだね。

また、やくざの親分先生からは衝撃の事実を知らされるが、それはまた後程。



2020年2月5日水曜日

化学療法(改)1クール目

本日より化学療法を再開した。

今まではCVポートによるXERIRI+アバスチンで15クール行ったが、今回より腹腔ポートによる化学療法(改)である。飲み薬のTS-1も予定されているが、しばらく様子を見てからにするらしい。

腹腔ポートによる化学療法は副作用は比較的出にくいらしい。
これは、オキサリプラチンの(未だに残る)手足のしびれ、投与1~2週間続く冷たいものが触れない飲めない、またイリノテカンによる骨髄抑制や抜け毛(やっと生えてきたが)の副作用を経験してきた私にとって大変ありがたい。
特にイリノテカンの副作用が強くでていたので・・・

今回の点滴も副作用に下痢があるらしいが、ストーマの私にとってはまったく怖くないのだ。空腸にストーマがついたため、ドロドロの便になりかけの状態で一日8回ぐらい出るのだから。

点滴は結構時間がかかった。CVポートからソルデム500ml×2の点滴に約2時間、吐き気止めの点滴に1時間、腹腔ポートからの抗がん剤に2時間と合計5時間かかった。
薬剤師さん曰く腎臓代謝なので、水分を多くとっているとのこと。

次回から外来になるので、往復と手続きや待ち時間等で、9時間ぐらいかかることになる。CVと腹腔同時に流せないのかな?

今のところ副作用さらしい副作用は出ていないし、1クールも点滴後2週TS-1を飲んで1週休薬と前回と一緒なので、効けば長く続けられそう。

ただ、アバスチンで転移が抑えられていたのであれば肝臓・肺への転移が心配。
また、先生と相談だ。

あっそれと最近熱が出ないので、解熱鎮痛剤を止めため、じんましんが出なくなった。
ということはやはりアセリオかぁ アレルギーのせいでまた使えない薬が増えてしまった。そんなデリケートな体じゃなかったはずなのになぁ。



2020年2月3日月曜日

手術後4日目

2020年2月1日

痛みは日に日に無くなって来ているので、痛み止めの点滴を止めたが、何か調子悪いなぁと熱を測ると37.9℃。
今までロピオンという解熱鎮痛剤の作用で熱が下がっていただけで、実はずーと出ていたのかもしれない。
今回はアセリオという解熱鎮痛剤を点滴で注入、痛みも取れることからみるみる楽になり、すっかり元気に。だけど12時間ぐらいするとまた熱が上がる。その度にアセリオを打ってもらっていた。

夜中に何か足の付け根が痒いなぁって見てみるとじんましんが出ている。何が影響したんだろう?まぁ昔からちょくちょく出てたのであまり気にしなかったが、次も同じ場所にじんましんが・・・

その次は右腕に出たので、タイミング的にはアセリオが原因だろうとロピオンに戻した。
これで一安心と思ったら今度は左足に・・・・

アレ? アセリオじゃないのか?

熱もつらいが、痒いのも困る。ストーマのシールの下に出来た日にゃぁもだえ死ぬかも



手術後3日目

2020年1月31日
今日個室に移り、流動食が始まった。

お茶とスープ、メイバランスとゼリー。
いつも大体このパターン、スープはニンジンスープだったり、白身魚とブロッコリーだったりと毎回違うのだが、すべてコンソメベースのため、ほぼどれも同じような味がする。
ゼリーもプリンだったりするが不思議とヨーグルトがない。また牛乳も出たことがない。
乳製品は何か支障があるのかなぁ 冷蔵庫に入れてあるんだけど・・・・

これでも2ヶ月何も食べていないとお腹いっぱいどころか、全部食べられない。



早く胃のリハビリをしなくては・・・・・

今日先生が入って来て、来週から腹腔ポートを使って抗がん剤を入れるらしい。
また、再来週には退院できる見込らしい。

どんな抗がん剤を使うのか説明が一切ないので聞いてみたが、はぐらかされる。
しつこく聞くと教えてくれたが、確かにそれを使うのか?って薬剤だった。
先生は長年いろいろ試してきて、効かない薬を消していき、これが残ったらしい。
(病院のHPにも書いていないので、勝手に広めて迷惑になるといけないので、この場では薬剤名は出しません)

でもそれを聞いて、なんと患者本位の先生なんだなぁ 男気あるなぁ と思った。
初対面の印象は悪かったけど、ちょっとコミュニケーション苦手なんだなぁって思った。

それに以外に笑うことも分かったし、朝6時過ぎに回診に来たり、夜も7時過ぎに来たりするので、時間が空けば患者さんの様子を見に来る人なんだと分かった。
気を抜いているときに突然来るので、いつも質問できないんだけどね
日曜日は必ず来るし、いつ休んでいるんだろう?



手術後2日目

2020年2月30日

朝から歩行訓練のため、まずはベッドの上に座る練習から始まった。
歩ける自信はあったが、起き上がるのに一苦労。3回目の手術を経験したので、コツは分かっている。まずは少し横向きになって腕の力で体を持ち上げると楽なのだ。
だけど痛くないわけでもないし、座っているとやはり疲れる。
続いて歩行。これはなんてない。自分でもびっくりするぐらいスタスタ歩いている。
リハビリスタッフも驚いていた。

続いてストーマ装具のつけ方を見せてくれるという。
初めて自分の腸がうねうね動いているのを見たが、なんかグロイ。
奥さんと娘は平気そうな顔でのぞきこんでいた。
剥離剤を使ってストーマ装具を外す。ここが結構大切で、無理に剥がすと皮膚が荒れて貼り付けられなくなるという。
その後、泡できれいに洗浄し型どりをするのだが、今は手術後なので結構張れているため、退院までに何回かとるらしい。
ストーマ装具を型の通り切り切り取り貼って完了。
う~ん出来るかなぁ・・・・
出来なければ退院できないらしい。

それと鼻のイレウスチューブが抜けた。もう体の一部のようだったが、やはり抜けると楽になる。尿管チューブは明日にしようと言われたが、無理を言って外してもらった。

夜は前夜の教訓を生かし、痛み止め&耳栓でぐっすり寝れた。


手術当日

ご心配、応援頂きありがとうございます。
無事手術も終わりようやくブログを書ける状態まで回復しました。

2020年1月29日
手術は2時半から、また手術後はこの病室には戻らずにナースステーションと繋がっている病室に移るという。そのため、荷物を片付けロッカーに入れておかなければならない。
まあ遅くなることはあっても早くなることはないだろうと1時過ぎからボチボチと片付けていたら、1時半に「呼ばれましたので行きましょう」
慌ててバックに荷物を詰め込んで、エコノミー症候群対策ソックスを履き、手術着に着替えて手術室まで歩いてった。
すぐに手術台の上に寝ると、「今から点滴入れますね。ちょっとピリピリするかもしれませんよ」
確かにピリピリしてきて眠たくなってきた。「ねむた・・・・・・・・」


「手術終わりましたよ。予定通りストーマ付きましたよ」

毎回そうだが、この間には数時間たってるんだろうな。このタイムリープ感が面白い。
手術室から出てきたのは4時。約2時間半のタイムリープだ。

意識もはっきりしているし、思ったほど痛くない。一昨年の手術の際には、我慢できないほどの痛みと眠気、モルヒネ系の鎮痛剤もついていたが、今回はそんなに痛くないし、眠くもないし、モルヒネ系の鎮痛剤もついていない。
あれ?開腹手術だから覚悟してたのに・・・
あとから看護師さんに聞くと切った神経によりますよっだって。

今回は意識もはっきりしていたので、圧迫されるのが大嫌いな私はさっそく酸素マスクと血圧計を外し、ストッキングを脱いじゃいました。
看護師さんは呆れてましたが、特に怒られることもなかったです。
「これには意味あるんですよ」って言われたけど、こっちの方が断然らく!!

それより今回一番つらかったのが、尿道の管。いままであまり苦痛に感じたことがなかったのに、今回おしっこは漏れるし、その漏れるときに猛烈に痛い。
それと眠れない。痛みが少ないとはいえ痛いし、それに騒がしい。

手術後の患者さんばかり集まっている病室だから、バイタル警告音がうるさい上、尿道に管が入っているのに1時間おきぐらいにトイレに行くというおじいちゃんと看護師さんの争い、ずーと独り言を言っているおばあちゃん。
なかなか厳しい夜を過ごした。