2020年9月2日水曜日

最終回

みなさまご無沙汰しております。
表皮ブドウ球菌やカンジタ菌などの常在菌による日和見感染症で40℃を超える熱を出しては入退院を繰り返しており更新できませんでした。
腸が短いと免疫力がさがり感染症になりやすいそうです。

菌の温床になりやすいポートやピックを抜いてしまったため、高カロリー輸液が出来なくなり、それにとうとうストーマより上の腸でイレウスになり再び食事がとれなくなりました。
その性かそれとも悪液質の性か日に日に体力が衰えていっているのが実感できるようになりました。
それに伴い社会復帰は叶わなくなりました。
自宅療養も出来ないかもしれません。

このブログを立ち上げた動機は同じ病気の方の治療の参考になればと思ってでしたが、抗がん治療もできない状態で本来の目的が達成できなくなったため、今回の更新を最後にいたします。
今まで応援して下さった方ありがとうございました。
ブログ自体は閉鎖せずに残しておきますので、治療の失敗談として参考にしていただければと思います。
それでは皆様が健康でありますように。

    

2020年5月13日水曜日

CVポート再造設

昨日CVポートの再造設を行った。
前回は右胸、今回は左胸へ。
かれこれ3ヶ月、これでようやく退院できる。

ただ、私がカリウムを経口から吸収できないため、退院しても家で点滴が必要で、輸液にKCL(塩化カリウム)を添加しないといけない。
このKCL間違うと心臓停止など重篤な副作用をおこす危険な薬剤なため、薬剤師さんが添加してくれるのですが3日しか持たないらしい。
そのため、3日に一度点滴を取りに行かなければいけないが、土日とかにかかってくるため、1日は訪問看護士に来てもらうことになった。
その打ち合わせを本日行い退院日が決まる。

点滴は生理食塩水が1日3本(3ℓ)、エルネオパ(高カロリー輸液)が1日1本(1.5ℓ)
入院中は看護師さんがやってくれてたので、気にならなかったが、毎日これを自分で入れ替えないといけないと思うと憂鬱だ。
これにほぼ1時間に一度ストーマの廃液を捨てに行かないといけない。
なんて不便な体になってしまった。 トホホ。

2020年4月25日土曜日

すぐに退院できると思ったんだけどなぁ

CVポート抜去してからは熱も上がらないし、体調もいい。
CVポートはいずれ入れ直すとしてようやく退院かと思いきや、なんとPICCでは退院できないらしい。
ひっかけた時のダメージが大きいのと感染症になりやすいためらしい。
CVポート埋め込み手術自体は1時間前後で終わるし、手術の翌日には退院できる。

ところが、コロナウィルスの影響により手術が制限されているらしい。
手術の順番待ちらしい。早くてもゴールデンウイーク明けになるとのこと。

また延期かぁ ついてないなぁ


   

2020年4月23日木曜日

CVポート抜去

ご無沙汰しております。

低カリウム血症で緊急搬送されてはや7週間たちます。
低カリウム血症はすっかりよくなったのですが、毎週末40℃の熱が出て退院が3週間延期となっておりました。

血液培養の結果、皮膚にある菌が血液中にあるということで、CVポートを疑いつつもバンコマイシンで治療を続けておりましたが、とうとうそれも効かなくなり、ほぼ間違いなくCVポートに付いているであろうとのことで、本日抜去しました。
かわりに腕から中心静脈までいれるPICC手術を行いました。

これでしばらく様子を見て細菌がなくなったら、ようやく退院です。

   

2020年3月31日火曜日

ここが変だよ〇〇病院

そもそもこの病院に行くきっかけになったのは、昨年9月に腹膜播種が原因と思われるイレウスの再発でした。地元病院ではイレウスを治す方法がなく、進行していないと思っていた腹膜播種をなんとかせねばという思いから、インターネットでこの病院を探し受診しました。すぐに「うちにおいで」と言ってくれたので、喜び勇んでこの病院に行ったのですが、思っていたのと違う結果になってしまいました。

そこで、何だか変だなぁって思う部分を書きました。
ただ、もしかしたら地域によってや全国的にも当たり前な部分があるかもしれません。
私の主観としてご覧ください。

この病院の腹膜播種センターの先生は3名。
一人目は、全国的も有名でこのセンター長のY先生。
忙しいせいか神出鬼没です。日曜だったり、早朝や夜間きたりします。

二人目は、やくざの親分みたいな口調と風貌で副センター長のI先生。
だみ声で大阪弁ばりばりですので、関西以外の方がこられるとびっくりすると思います。

三人目は、にここにしててやさしいN先生。
実はこの先生が一番毒吐きます。

ここがへん
一つ目
患者への説明がほぼありません。
手術の説明も一方的でCTや血液検査の結果を見せてくれたり、リスクなど詳しい説明はほぼありませんでした。

二つ目
看護師とのコミュニケーションがとれてません。
看護師も少なく先生の手術の件数が多いせいか、看護師に言っても先生に伝わっていないことが多かったです。
低カリウム血症の症状を訴えても先生に伝わらず、別の病院から来た当直の先生に直訴して点滴してもらったりしました。

三つ目
先生同士のコミュニケーションがとれていません。Y先生はほぼ単独でI先生とN先生が比較的二人で回診してくれますが、Y先生と二人の先生とのコミュニケーションがとれていないと思います。Y先生の方針と二人の方針が違ったり、途中で覆ったりします。
一番は退院日にY先生の予約がN先生によって取り消されたことです。

四つ目
他の科と連携出来ていません。
低カリウム血症の治療が食事や高カロリー点滴だけであったり不十分でした。
血液検査も週1回で変化がわかるのだろうか、また症状のひとつである食欲不振で食べられないのに、飯食えって・・・今思っても不十分な治療でした。

地元病院に戻ってからは低カリウム血症は外科では十分な治療が出来ないとの理由から担当が内科に変わりました。薬を換え量を換えてもまだカリウムは基準値内に入りませんが、ようやく症状がでない値まで戻りました。
それほど難しいことなんだと改めて知りました。


ただ、腹膜播種についてはプロフェショナルだと思います。
腹膜播種の治療に標準治療以外の薬を使ったり、長年の経験と実績があります。

私自身もご飯が食べられるようになって、後悔はありません。
先生たちがいい悪いより病院が少々ブラック気味かなぁって思いますね。それが患者に跳ね返っている気がしますね。

今回私は副作用などでうまくいきませんでしたが、腹膜播種でお悩みの方は一度受診される価値は十分にあります。ただし、入院中は気を付けて下さい。


   

2020年3月28日土曜日

やっぱ腸って大事なんだなぁ

皆様、応援ありがとうございます。
体調が安定せずパソコンを触ることも出来なかったのですが、少し安定してきたので、久しぶりの更新です。

最近では体のだるさも取れ、歩き回れるようになりました。
少しずつですが体力も戻ってきました。
ストーマにしたおかげで、ご飯も食べられるようになったのですが、困ったこともいくつか出てきました。

一つ目は頻繁にトイレに行かなければならなくなったこと。
ある程度コントロールは出来るのですが、食後2時間ぐらいはすぐにストーマ袋が何度もパンパンになります。
とにかく飲んだ水分はそのままスグに出てきます。
常に喉が渇いているので、どうしても水分をとってしまうのですが、そのまま出てしまうの繰り返しで一日7~8リットルの排便がでます。

二つ目は点滴が外せなくなったこと。
経口では水分といくつかの栄養素・ミネラルが吸収できていない。
特にカリウム、マグネシウムがうまく吸収できていないため、一日3リットルのカリウム入り生食の点滴と高カロリー輸液1リットルが必要とわかったこと。

三つ目は体調が不安定になったこと。
ここ数日も何度も熱を出し、その度抗生剤を点滴してました。
肝心の腸がこんな状態では免疫力が大幅に低下してしまうのでしょう。


(給食で出ましたが、残念ながら大腸まで届きません。)

入院してから20日経ちましたが、未だに退院の予定が立っていません。
う~んそろそろ保険金も尽きてきてヤバイ状態になってきたぞ。

2020年3月13日金曜日

小腸ストーマ

いつも読んでくださりありがとうございます。
病室で退屈な日々をすごしております。


イレウス→ご飯が食べられない→化学療法できない→がん進行→イレウス拡大

この負のスパイラルを打ち切るため、ご飯を食べられるようストーマを決意したのだが、私の場合これが結構な致命傷になってしまった。

小腸でも結構上の方で切ったため、水分・栄養素(特にミネラル)が吸収しづらく、今回の低カリウム血症+脱水症状になってしまいました。

低カリウム血症+脱水で私に起こった症状は
全身がだるい、ふらつき、吐き気(嘔吐)、食欲不振、しびれ、何より普段ではしないような判断や行動をしてしまうことでした。

それは入院して二日目の夜、ストーマを排泄しようとトイレへ。なぜか便座とは別の場所に座ろうとしてしまったが、そこは何とか踏ん張って便座へ座った。
ところが今度はベッドに座るつもりが、なぜか普通に床の上にベッドがあるつもりで座ったしまった。
「あっ やばい」と思ったが時すでに遅し、点滴台ごと大転倒。
たまたま通りがかった看護師さんにすぐ助けられたが、自分で起き上がることもできませんでした。

直ぐにセンサー付きを紐を取り付けられ、「トイレに行くときは呼んで下さいね」と何度も何度も何度も念を押され要注意人物に。

看護師の長女曰く転倒すると始末書を書かされるらしい。看護師さんには申し訳ないことをしたなぁとは思いつつも、なぜあのような行動をしたかは、いまだにわからないがこれもひとつの症状らしい。
今にして思えば、今まではどんなに苦しくても病院には自力で行っていたのに、救急車を呼ぶという判断をしてしまったのも、このせいかもしれない。

血液検査でカリウムが一番少ない時で2.4mEq/L(基準値3.6~5.5)で、他のミネラルもめちゃくちゃな値だったらしい。
今後ミネラルが吸収されることは期待しづらいとのことで、もしかしたら永久点滴かもしれないとのこと。

癌との闘いもあるが、とりあえず今は普通にご飯が食べられることを目指しています。

2020年3月11日水曜日

大袈裟ですが、死ぬかと思いました。

いつも読んで頂いている皆様、ご心配おかけしております。
生きております(^^; 少しさかのぼって書きます。

体調が安定せず、歩けたり歩けなかったりしたのですが、退院日が3月5日と決まった。
それでもY先生が抗がん治療を翌週(3月9日)から行ってくれるとのことで、自宅で療養しながら体調を整えようと退院を決意した。

退院当日、しんどいけど歩けなくはない。
会計を済まして来週の外来予約表をもらうと、外来予約が4月に変更されている。しかも化学療法がキャンセルされている。

すぐに看護師になぜキャンセルされているのか問いただすとN先生がやったという。
N先生を捕まえて、なぜかと聞くと
「出来る訳ないやん この前 副作用で死にかけたでしょ」
「もともと生きるか死ぬかでこの病院まできて、ストーマにしてまでやってきたのに、それは無いでしょう」と反論。他にも色々言った気がするが、必死に食い下がった記憶だけある。

何とか3月18日にやくざの親分先生(I先生)の受診とその血液検査の結果がよければ化学療法を行ってもらえる外来予約表をもらって、その場は引き下がったが、埒が明かないので、やくざの親分先生(I先生)に説得させる魂胆は見え見えだ。

 次はやくざと戦争だぁ!!

Y先生は抗がん治療を行ってくれるといい、I先生とN先生はやらないという何ともおかしい病院だ。厄介なことになってきたなぁ。
このおかしな病院(先生方)についてはそのうち詳しく書きます。

翌日もあまり体調がよくない。
それでもお昼ご飯にサンドイッチを食べ、ベッドで横になっていると、なんか息苦しいし全身がしびれ始め、体を起こすことすらできなくなった。

あかん死ぬ

家族も外出しているので、自ら救急車を呼んだ。
ちょうど家族も帰ってきて地元の病院に搬入された。

病状は『低カリウム血症』
他にも数値がめちゃめちゃらしい。
救急担当医に昨日まで別の病院に入院していたことを伝えると、「えーーーー」と(よく退院させたな的に)驚いていた。
今はブログを書くまで回復できましたが、死を覚悟した数日でした。

追記:この前は高カリウム血症と書きましたが、前の病院では数値を見せてくれないので、聞き間違いかもしれません。

   

2020年2月24日月曜日

体調が安定しない

体調が猫の目のように変化する。

5分粥まで食べられるようになったと思ったら、すぐに吐いたり。
歩けるようになったらすぐにふらついたりと、とにかく安定しない。

ここ2~3日前までは全身じんましんに襲われていたが、アレグラ2回で一気に改善。
とにかくひとつひとつ治していくしかないみたい。

ところで
「オプジーボ、食道がんと結腸・直腸がん治療で国内承認」とありましたが、まあどうせ色んな条件が付くのでしょう。大腸がんの期待の薬となるのでしょうか?
詳しくご存知の方いらっしゃったら教えて下さい。

   


2020年2月19日水曜日

今日のケモ中止、退院決定

本日、腹腔ポートからの抗がん剤治療がスキップとなった。

血液検査の結果 クレアチニン 4.13 尿素窒素 100.7 腎臓の数値が悪すぎる。
これ下手したら透析レベルやん。

だから数日前から訴えていたのに「あんたは考えすぎや」なんて患者の不調を無視するから、ギリギリの血液検査の結果、ケモスキップだなんてことになるんだろうね。
しかも看護師と先生のコミュニケーションは悪いし、3先生がそれぞれ回診に来てくれるのでありがたいのだが、基本3人の先生は常に単独行動なので、同じことを何度も聞かれる。しかも既往歴に糖尿病って書いてあるし、紹介状に書いてあったはずなのに、今更知ったとも言う。
はっきりいって手術では有名であっても、入院中の管理は下の下である。

「で、どうするねん」といつものI先生。
「可能ならやりたいです」
「こっちは出来へん言うてるやろ」
??? 何が言いたいんだ? じゃ何で聞くのか? 強制同意なのか?

で続いてN先生も
「ここは手術をメインとしたアクティブな患者さんを入院させる病院(センター)です。地元で体調整えられてはどうですか?」

外来での抗がん治療は続けられるという当初の目的は達成されているわけだから、別にここでの入院をこだわってるわけではないが、私はアクティブでポジティブなつもりなんだが、助かる確率の高い命しか助ける気がないんだろうか、手術以外には興味ないんだろうなって思ってしまう。
で地元で引き受けてくれる病院を探してもらうようになった。

帰り際I先生がN先生を先に返して、こう言って去っていった。
「あまりN先生を困らせるなよ。こっちは43年もこれ専門なんだ」
随分とI先生には嫌われたなぁ。自分の思い通りの43年間だったんだなぁってしみじみ思う。
自分の体に対しては無茶言ってるが、先生に無茶ぶりしたこともないし、ましてや患者の要望をクレームとしてしか受け取らない医者には正直絶望しかない。
正直I先生とはこれ以上討論したくないし、これで退院の決意が揺らぐことはなくなった。戦略的撤退だ。
病院(先生)は目的ごとに付き合った方がいいという教訓を教わった。

   
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2020年2月18日火曜日

再告知

話は数日前に戻りますが、やくざの親分先生(I先生)より、「ちょっとこれるか?」と呼び出された。
病室では話しづらい内容だとはすぐに気が付いたが、呼び出されたところが処置室と書かれた実際には倉庫として使っている部屋だ。

体育館裏へ来い!!って言われた気分だ。

部屋に入るといきなり
「あんた自分の病気のこと分かっているか?」
「ええ、結構悪いと思ってますが・・・」
「そうや、相当悪いで」

今にして思えば随分と乱暴な話で、CTやら検査結果やらを見せながら説明するのが普通だと思うが、何の説明もして来なくて「わかってるやろなぁ」って感じで凄まれても医者としての説明責任を果たしていないと思うが・・・

「このまま治療続けても無駄やと思うで」
「それって緩和ケアってことですか?」
「そや」
「緩和ケアを選択したら、栄養とか取れなくなり、悪液質で余命半年ぐらいって感じでしょうか?」
「そやな」

「そやな」って冗談じゃない!! 先生にとっては何百、何千分の1人かもしれんけど、私や家族にとっては1/1の命やぞ!! 

「でもね先生、抗がん治療も一回しかしてないのに、もう緩和ケアの選択しか無いんですか?前の病院は標準治療しかできないと言われ、だからここに来たんですよ。こんぐらいでは諦めませんよ」

「Y先生は全国的に有名な先生やけど、みんながみんな治る訳ちやうで」
「そんなのは分かってますよ。みんな覚悟の上で、わずかな確率に掛けてきているんじゃないんですか?」
「・・・・・・」
「抗EGFRも試していないし、標準治療もまだたくさん残ってるかぎりチャレンジしますよ」

それに標準治療がなくなったら、確率が低くても遺伝子パネルも出来るし、HER2異常だったら別の薬も使えるかもしれないし、MSI-Hだったらキイトルーダも使えるかもしれない。
ここであきらめる選択支なんかない!!

「そうか まあN先生が新しいレジメンも考えてくれているようなので・・・・」
先生だろうが誰であろうが自分と考えが違うところは納得できるまでやりあう覚悟だ

翌日有名なY先生がひょっこり顔を出して(この先生掛け持ちも多いためか神出鬼没なのだ)
「ケモ今週やな、その先もずーと外来で予約してあるから来てね」ってにこにこしながら言ってくれた。(第一印象から随分と違うなぁ。シャイな先生だったんだね)

ちょっと落ち込んでたけど、涙が出そうになるくらいこの一言で癒された。

それから2~3日後、また体調が悪くなり始めたが回診に来るのはI先生、この先生に言ってもどうせ根性論とか精神論でしか返ってこないだろうと相談しなかったが、今回N先生とI先生が二人で入って来たので、思い切って相談した。

「前回と同じ様に動くと息切れがするのです」
するとI先生、私の頭を指さして「あんた考えすぎやねん」 単純・想定通りの回答だ。
はぁぁぁ そういうのは血液検査でもして、医者らしいことやってからだろ。
あんた考えなさすぎやねん。固定観念に縛られすぎやねん。
どうもこの先生とは合わない。ずーとケンカし続けることになるだろう。



2020年2月15日土曜日

動けなくなる

体調不良で一週間動けなくなってました。

先週水曜日に腹腔ポートから抗がん剤を打って、これといった副作用もなく順調だと思っていたが、金曜日から胃がシクシクと痛くなり水さえ飲めなくなった。

この時には明日には普通食というところまできていたので、既に点滴も外れ口からのみの栄養、水分補給となっていたが、ストーマからは相変わらず1日2ℓぐらい出ていたため、あっという間に脱水症状らしき症状が出た。

やくざの親分先生には訴えていたのだが、しっかり水分とらなあかんでとか、もっと歩かなあかんでとか、はよ退院せなあかんでとか根性論しか返ってこなかった。たまりかねて別の当直の先生に症状を訴えると直ぐに血液検査をしてくれた。

脱水症状で高カリウム血症!! まあまあ危ない病気やん!!

直ぐに点滴を打ってくれ、心電の機械が胸についた。
ここがねこのセンターの先生方の連携の悪さだと思うんだよね。

それでもしばらくトイレに行くにも息切れを起こすし、立ち眩みはするし、何をするにも気力が無くなるしで、ようやくここ1~2日で動けるようになった。

来週に再度腹腔ポートから抗がん剤を打って、様子をみてから退院となった。
今後は地元の病院に戻り、抗がん治療だけここに通うように手配してもらった。

それぞれの病院に特色がありますね。100点の病院ってなかなか無いんだね。

また、やくざの親分先生からは衝撃の事実を知らされるが、それはまた後程。



2020年2月5日水曜日

化学療法(改)1クール目

本日より化学療法を再開した。

今まではCVポートによるXERIRI+アバスチンで15クール行ったが、今回より腹腔ポートによる化学療法(改)である。飲み薬のTS-1も予定されているが、しばらく様子を見てからにするらしい。

腹腔ポートによる化学療法は副作用は比較的出にくいらしい。
これは、オキサリプラチンの(未だに残る)手足のしびれ、投与1~2週間続く冷たいものが触れない飲めない、またイリノテカンによる骨髄抑制や抜け毛(やっと生えてきたが)の副作用を経験してきた私にとって大変ありがたい。
特にイリノテカンの副作用が強くでていたので・・・

今回の点滴も副作用に下痢があるらしいが、ストーマの私にとってはまったく怖くないのだ。空腸にストーマがついたため、ドロドロの便になりかけの状態で一日8回ぐらい出るのだから。

点滴は結構時間がかかった。CVポートからソルデム500ml×2の点滴に約2時間、吐き気止めの点滴に1時間、腹腔ポートからの抗がん剤に2時間と合計5時間かかった。
薬剤師さん曰く腎臓代謝なので、水分を多くとっているとのこと。

次回から外来になるので、往復と手続きや待ち時間等で、9時間ぐらいかかることになる。CVと腹腔同時に流せないのかな?

今のところ副作用さらしい副作用は出ていないし、1クールも点滴後2週TS-1を飲んで1週休薬と前回と一緒なので、効けば長く続けられそう。

ただ、アバスチンで転移が抑えられていたのであれば肝臓・肺への転移が心配。
また、先生と相談だ。

あっそれと最近熱が出ないので、解熱鎮痛剤を止めため、じんましんが出なくなった。
ということはやはりアセリオかぁ アレルギーのせいでまた使えない薬が増えてしまった。そんなデリケートな体じゃなかったはずなのになぁ。



2020年2月3日月曜日

手術後4日目

2020年2月1日

痛みは日に日に無くなって来ているので、痛み止めの点滴を止めたが、何か調子悪いなぁと熱を測ると37.9℃。
今までロピオンという解熱鎮痛剤の作用で熱が下がっていただけで、実はずーと出ていたのかもしれない。
今回はアセリオという解熱鎮痛剤を点滴で注入、痛みも取れることからみるみる楽になり、すっかり元気に。だけど12時間ぐらいするとまた熱が上がる。その度にアセリオを打ってもらっていた。

夜中に何か足の付け根が痒いなぁって見てみるとじんましんが出ている。何が影響したんだろう?まぁ昔からちょくちょく出てたのであまり気にしなかったが、次も同じ場所にじんましんが・・・

その次は右腕に出たので、タイミング的にはアセリオが原因だろうとロピオンに戻した。
これで一安心と思ったら今度は左足に・・・・

アレ? アセリオじゃないのか?

熱もつらいが、痒いのも困る。ストーマのシールの下に出来た日にゃぁもだえ死ぬかも



手術後3日目

2020年1月31日
今日個室に移り、流動食が始まった。

お茶とスープ、メイバランスとゼリー。
いつも大体このパターン、スープはニンジンスープだったり、白身魚とブロッコリーだったりと毎回違うのだが、すべてコンソメベースのため、ほぼどれも同じような味がする。
ゼリーもプリンだったりするが不思議とヨーグルトがない。また牛乳も出たことがない。
乳製品は何か支障があるのかなぁ 冷蔵庫に入れてあるんだけど・・・・

これでも2ヶ月何も食べていないとお腹いっぱいどころか、全部食べられない。



早く胃のリハビリをしなくては・・・・・

今日先生が入って来て、来週から腹腔ポートを使って抗がん剤を入れるらしい。
また、再来週には退院できる見込らしい。

どんな抗がん剤を使うのか説明が一切ないので聞いてみたが、はぐらかされる。
しつこく聞くと教えてくれたが、確かにそれを使うのか?って薬剤だった。
先生は長年いろいろ試してきて、効かない薬を消していき、これが残ったらしい。
(病院のHPにも書いていないので、勝手に広めて迷惑になるといけないので、この場では薬剤名は出しません)

でもそれを聞いて、なんと患者本位の先生なんだなぁ 男気あるなぁ と思った。
初対面の印象は悪かったけど、ちょっとコミュニケーション苦手なんだなぁって思った。

それに以外に笑うことも分かったし、朝6時過ぎに回診に来たり、夜も7時過ぎに来たりするので、時間が空けば患者さんの様子を見に来る人なんだと分かった。
気を抜いているときに突然来るので、いつも質問できないんだけどね
日曜日は必ず来るし、いつ休んでいるんだろう?



手術後2日目

2020年2月30日

朝から歩行訓練のため、まずはベッドの上に座る練習から始まった。
歩ける自信はあったが、起き上がるのに一苦労。3回目の手術を経験したので、コツは分かっている。まずは少し横向きになって腕の力で体を持ち上げると楽なのだ。
だけど痛くないわけでもないし、座っているとやはり疲れる。
続いて歩行。これはなんてない。自分でもびっくりするぐらいスタスタ歩いている。
リハビリスタッフも驚いていた。

続いてストーマ装具のつけ方を見せてくれるという。
初めて自分の腸がうねうね動いているのを見たが、なんかグロイ。
奥さんと娘は平気そうな顔でのぞきこんでいた。
剥離剤を使ってストーマ装具を外す。ここが結構大切で、無理に剥がすと皮膚が荒れて貼り付けられなくなるという。
その後、泡できれいに洗浄し型どりをするのだが、今は手術後なので結構張れているため、退院までに何回かとるらしい。
ストーマ装具を型の通り切り切り取り貼って完了。
う~ん出来るかなぁ・・・・
出来なければ退院できないらしい。

それと鼻のイレウスチューブが抜けた。もう体の一部のようだったが、やはり抜けると楽になる。尿管チューブは明日にしようと言われたが、無理を言って外してもらった。

夜は前夜の教訓を生かし、痛み止め&耳栓でぐっすり寝れた。


手術当日

ご心配、応援頂きありがとうございます。
無事手術も終わりようやくブログを書ける状態まで回復しました。

2020年1月29日
手術は2時半から、また手術後はこの病室には戻らずにナースステーションと繋がっている病室に移るという。そのため、荷物を片付けロッカーに入れておかなければならない。
まあ遅くなることはあっても早くなることはないだろうと1時過ぎからボチボチと片付けていたら、1時半に「呼ばれましたので行きましょう」
慌ててバックに荷物を詰め込んで、エコノミー症候群対策ソックスを履き、手術着に着替えて手術室まで歩いてった。
すぐに手術台の上に寝ると、「今から点滴入れますね。ちょっとピリピリするかもしれませんよ」
確かにピリピリしてきて眠たくなってきた。「ねむた・・・・・・・・」


「手術終わりましたよ。予定通りストーマ付きましたよ」

毎回そうだが、この間には数時間たってるんだろうな。このタイムリープ感が面白い。
手術室から出てきたのは4時。約2時間半のタイムリープだ。

意識もはっきりしているし、思ったほど痛くない。一昨年の手術の際には、我慢できないほどの痛みと眠気、モルヒネ系の鎮痛剤もついていたが、今回はそんなに痛くないし、眠くもないし、モルヒネ系の鎮痛剤もついていない。
あれ?開腹手術だから覚悟してたのに・・・
あとから看護師さんに聞くと切った神経によりますよっだって。

今回は意識もはっきりしていたので、圧迫されるのが大嫌いな私はさっそく酸素マスクと血圧計を外し、ストッキングを脱いじゃいました。
看護師さんは呆れてましたが、特に怒られることもなかったです。
「これには意味あるんですよ」って言われたけど、こっちの方が断然らく!!

それより今回一番つらかったのが、尿道の管。いままであまり苦痛に感じたことがなかったのに、今回おしっこは漏れるし、その漏れるときに猛烈に痛い。
それと眠れない。痛みが少ないとはいえ痛いし、それに騒がしい。

手術後の患者さんばかり集まっている病室だから、バイタル警告音がうるさい上、尿道に管が入っているのに1時間おきぐらいにトイレに行くというおじいちゃんと看護師さんの争い、ずーと独り言を言っているおばあちゃん。
なかなか厳しい夜を過ごした。


2020年1月28日火曜日

手術

平穏な日々が続くと、何も変わらずこのまま過ごせていけるんじゃないかと勘違いしてしまうが、昨日は現実を見せつけられた。

転院してはや1週間、イレウスチューブのおかげでお腹もぺったんこで調子もいい。
レントゲンの結果次第でストーマ手術をするかどうかの最終判断。

先生が病室に入ってきて言いにくそうに「ストーマ中止して食道瘻に変更します」と言ってきた。
レントゲンの結果が悪かったのだろうとすぐに予想は付いたが、詳しく聞いてみると小腸の半分が動いていないそうだ。イレウスチューブが途中で止まってしまっているらしい。
原因はおそらく腹膜播種が悪さをしているのだろうとのことで、ストーマを付けられない可能性が高いらしい。

ただ、食道瘻にするとゼローダが使えないし、食事も流動食しか食べられない、ストーマの覚悟を決めていたので今更感もあるが、食べ歩きリストを作っていたので、それが一番困る。

開けてもそのまま閉じる可能性があることを条件にストーマの手術をやってもらうことになった。
今後の治療のために腹腔ポートの造設もして頂けることになったが、とにかく開けてみないとわからないらしい。

先生ははっきりとは言わないが、腹膜播種が相当進行してるのだろうと予想は付く。悪い内容ではあるが、現実を知れたことはありがたい。前の病院では現実すら知ることが出来なかっただろう。

いよいよ明日手術。



2020年1月21日火曜日

今後の治療方針

※一部おおげさな表現や若干の脚色、会話の一部分抜粋、記憶違い等あります。ご了承下さい(^^;

今日、新たな先生が回診にこられた。
外来初診時の先生がちょっと怖いY先生。昨日回診にこられたのがやさしいN先生。
で新たな登場人物。街中であったらヤ〇ザの親分と間違えそうなI先生(^^;

いったい誰が主治医なんだろう。

で、この親分先生もまた人にあまり質問をさせないオーラをまとっており、
「いつから便出てないの? ちょっとお腹見せて この傷なんの手術? お腹やわらかいやん」と立て続けに聞いてくる。

いやいやカルテ見たらわかると思うし、昨日から3リットルも腸液出てるからやわらかくもなるでしょうよ。

「ストーマね」いきなりの攻撃
「へっ? ストーマ?」
「この病棟の半分はストーマやし、その半分は小腸ストーマやで」

立て続けに看護師に向かって「※▲□%&の練習させといて」と言い残して去っていった。
ちゃんと聞き取れなかったがおそらくストーマのパウチを換える練習のことを言っているんだと思う。

何の説明も無しにストーマって攻撃に半分意識を失ってまた質問できなかった。
承諾もしてないんだけど、何か決まっていってるなぁ。まあ、時間あるし最終的には同意書で駄々こねてやろう。

するとしばらくしてやさしいN先生がこられ
「来週火曜日に食道瘻の手術します。CTの見るとどうやら小腸の末端の方がが詰まっているようなので、早くて再来週にストーマを付けます」

「ストーマじゃなくてバイパスとかできないのでしょうか?」
「今までの経験上ほぼうまくいきません。1回目の手術なら可能性もありますが、2回目3回目の手術の方、特に抗がん剤を使用している方は腸がうまく引っ付かず腹膜炎を起こして再手術になる可能性が高いです。ストーマにするとすぐにごはん食べられるようになりますよ」

「では将来的に腸閉塞が治ってストーマを外すことはできますか」
「ほとんどの場合治ったとういことはありません。生涯つけっぱなしになると思います」

「腹膜播種はどういう治療を行いますか」
「腹腔ポートより抗がん剤を入れます。腹腔ポートも一緒に造設します。詳しくまた説明しますね」と丁寧に対応頂いた。

仏頂面だけどバシバシ方針と日程を決めて行く先生とこの土地に負けない威圧感の先生、それらをすべてフォローする先生がいいトリオになっているんだろうなぁって思う。

CVポートに食道瘻、ストーマ、腹腔ポートとオプションがついてきて、だんだんサイボーグ化が進んでいるなぁ

2020年1月20日月曜日

転院

本日、新たな病院に入院した。

家から高速使って車で1時間半なのだが、入院中の駐車場代もとられるので、電車で重い荷物をもって乗り継ぎ3回し、2時間半かけてようやく着いた。
もう着いたときにはヘロヘロになっていた。
手続きを終えさっそく病室へ。大部屋が空いてなくて個室になったが、先生からは何の指示もされてないらしく、しばらく放置された。
看護師さん曰く前回の有名な先生はほとんど病院におらず、週二回の手術日に見かけるそうだ。しかも手術が終わると帰ってしまうそうだ。

しばらくたって病室に現れたのは、やさしそうな先生。
「CTを見ると相当お腹が張って辛そうだから、まずは鼻からチューブを入れて腸圧下げますね。明日の食道瘻造設手術は場所もないし一週間ほど様子を見ます」

えぇぇぇぇ~またもやイレウスチューブか。まあ楽になるからいいけど、それならもっと早く入院させてくれれば、家で苦しまなくてもよかったのに・・

今回の先生は質問しやすそうだから、前回質問できなかった内容を聞いた。

「食道瘻造設は腸圧を下げるためだけですか?」

「そうです。ここ2~3年の新しい技術で鼻やのどの違和感なくず~とつけたまま生活している人もいますよ。プリンとかも食べられますし、食道瘻から吐くこともできますよ。」

プ、プリンって俺が食いたいのは牛丼、かつ丼、天丼、ギョウザ、焼肉、パスタetcなの
二ヶ月のカロリーを取り戻したいのだ!!
それにちょっと思ってたのと違うなぁ てっきり治療をするために開けるんだと思っていたが、対処療法だったとは・・・・
質問を変えてみよう。

「前回大きな腫瘍があると言われたが腹膜播種はどうやって治すのでしょうか?」

「抗がん剤はやってなかったの?腹腔抗がん剤は?」

「いえ、XERIRI+アバスチンをやってました」

「点滴だけね。小腸ストーマも含めて方針はまた他の先生方とも相談しますね」

なんか釈然としないなぁ こんなに元気なのに腸の中はそれは恐ろしい状態になっているのか、それとも小腸イレウスってやはりここでも相当難しいのだろうか?
腹膜播種センターと言うぐらいだから、腹膜播種に対してなんらかの処置はしてくれるだろうと期待しつつ、しばらくは前回入院同様何もしない一週間を過ごさなければならない。





2020年1月10日金曜日

セカンドオピニオンの報告

本日、点滴キットのルート交換もかねてセカンドオピニオンの報告に行ってきました。

ぶっきらぼうな先生であったことや用意していった質問がまったく出来なかったことなど、笑いを交えながら報告してきました。 転院の報告って妙に気を遣う・・・(^^;

手術するということに大変びっくりされてましたが、いつでも戻ってこれるようにと、とりあえず4ヶ月後に予約を入れて下さいました。
いい先生だぁっと思っていたら、「私4月に転勤します」

え~~ それ早く言ってよぉ(松重さん調)

大学病院から来ている先生だし、前の主治医も1年で今の先生に交代したくらいだから、なんとなく予想はしていた。
4月以降の主治医は若くて経験値も相当浅い。しかも大腸やがん専門ではない。
う~~ん 戻りたくない・・かな?



2020年1月9日木曜日

セカンドオピニオン&転院

年末年始を自宅での点滴で過ごしたが、絶食中でおせちも雑煮もおあずけの上、毎日緑色の液体(腸液)吐いて過ごすという、過去最低の年始を迎えた。

本日、セカンドオピニオンに行ってきた。

混んでいたらしく1時間遅れで呼ばれて診察室に入った。
「こんにちは よろしくお願いいたします」
「・・・・・」先生無言。HPでは笑顔で写っていたのに、ちょっと怖いなぁ。

「イレウスはいつから?」「去年の9月からです」
病院から提供されたCTデータを見ながら「なぜ造影剤CTと違うんだ」
なぜ・・・? うん・・・? それ俺に聞く?
「確か8月ぐらいに撮ったと思います」データを見ながら「ああ、これか」

「抗がん剤は?」「去年の11月から行っていません」「なぜだ?」
なぜだ・・・? うん・・・? それって紹介状に書いてあるのと違うん?
「イリノテカンの副作用で白血球減少してしまい、その後行っていません」
「数値はいくつ?」 いや急に聞かれても覚えてないし・・・
「たしか500ぐらいだったと・・・」

「造影剤CT撮ってきて。あと血液検査も」
「え? は・・・はい」

セカンドオピニオンは第三者の意見を聞くものだから、効率よく質問できるようシナリオを考えて行ったが、思っていた内容と全く違い、まったく質問ができなかった。
しかも保険適用外のはずなのになぜ診察?

血液検査と造影剤CTで約2時間かかり再び診察室へ
「腸閉塞になってるな それに大きい腫瘍がある」
「そうですか」と冷静に答えるが心の中では『え~~~~なぜ今までわからなかったんだ』と同時に『さすが先生!!画像見ただけでここまでわかるとは』

「抗がん剤治療もあるし入院ね いつからこれる?来週これる?」
「はい来週以降ならいつでも」
「入院翌日に食道に管通すから」「イレウスチューブですか?」
喉を指さしながら「いや食道から」
へっ?そういうこと?それはイヤやなぁ~ でも仕方ない。

病院の都合上再来週となったが、決断も行動も早い。
少しぶっきらぼうでしたが、あれよあれよと決まったので少し安心した。

会計後領収書を見ると、すべて保険適用で結局セカンドオピニオンではなく普通の診察でした。
今の病院どういう予約したんだ?